仕事は自分でつくるもの。令和時代に求められる、”ニューヨークスタイル”の働き方。| 7/21 開催イベントレポート
PHOTO : 北川 由依
短時間勤務社員、在宅ワーク、フリーランスなど、さまざまな働き方が広がる時代、私たちに求められるのはどのようなあり方だろうか。
”時代をつくる出会いを”をコンセプトに生まれた共創の場「KOIN」で7月21日、35歳以下を対象とした第2回イベント「場所と時間に捉われない生き方 令和時代のスーパーロールモデル」が開催された。ゲストに、株式会社itty selection 代表取締役 上村由依(かみむらゆい)氏を迎え、人材・教育事業に取り組む株式会社美京都(みやこ)の代表取締役 中馬一登(ちゅうまかずと)さんがファシリテーションを務めた。会場には、会社員やフリーランス、学生など約40名が集まり、これからの生き方や働き方を考えた。
海外に行けば変わる?
「今日は、令和時代のスーパーロールモデルが京都に来ています」
中馬さんの言葉に、「ハードル上がるやん」と笑いながら答える上村さんとの掛け合いからイベントはスタートした。
まずは、上村さんの自己紹介から。奈良出身、大学進学を機に東京へ引っ越し。大学の雰囲気が合わなかったことから3年次に中退し、アパレル企業へ入社する。先輩社員を追い抜いて、トップセールスとして輝かしい実績を残した後、上村さんは本格的にファッションを学ぶため22歳で単身ニューヨークへ渡ることを決める。そこで人生の転機が訪れる。
「日本にいた頃は、自分で進路選択をしてきた、一人で生きていけると思っていたんです。でもニューヨークに行ったら、言葉も通じない、知り合いもいない、仕事もない。私は何もできないと痛感したんです」
ニューヨークの滞在は、半年間の予定。語学学校に通っていたものの、「このままではファッションのことを学べず終わってしまう……」と危機感を覚えた上村さんは、ある日、日本の大手企業が主催する就活セミナーに参加する。そこで、のちに師匠となる広告代理店ADKアメリカ法人の当時CFO兼副社長だった榮枝洋文(さかえだ ひろふみ)さんと出会う。
「就活セミナーにも関わらず、『君たちはみんなと同じ道を選びたくないと思い、自分の意思でニューヨークまで来た。でも就活となったら、みんなと同じ髪型、同じ服装になるのかい?嫌なら今すぐ辞めなさい』と話していて。めっちゃかっこいいなと思いました」
勇気を出して踏み出したこの小さな一歩が、上村さんの人生を加速させることとなる。
ニューヨークで見つけた自分の道
上村さんは榮枝さんに、ファッションを学ぶためにニューヨークへ来たこと、得意な販売をいかしてクリエーターを支援したいことを伝えた。そこで榮枝さんから「PRの仕事をしたら?」とアドバイスをもらう。
「それまでPRもADKという会社も知りませんでした(笑)でも、この人が言うなら間違いないだろうって、PRの道に進むことにしました」
ファッションのPRができる会社に、どんどんメールを送った上村さん。そのうちの一社、アーティストのプロモーション支援をする日本人経営者のアシスタントとして働くことになる。
仕事は順調で、当初帰国までの3ヶ月の予定だったが、最終的に約2年、ニューヨークに滞在することとなった。帰国を決めたのはなぜだったのだろうか。
「ニューヨークで日本人が対等にビジネスできるよう文化をつくってきた人たちは、若い人を引き上げたい気持ちが強い。だからこそ、先輩たちのおかげで仕事ができる気になっているんじゃないか、日本でビジネスパーソンとしてやっていけるのか不安でした」
”ニューヨークスタイル”を日本へ
2012年、上村さんは日本へ帰国。IT企業のPR職として働くこととなる。そこで、ニューヨークで培ったスタイルが、日本では疎ましく思われることに気づく。
「ニューヨークでは、従業員でも自分の仕事は自分でつくる意識が浸透していました。アシスタントの時も、自分から動かないと仕事はなかったんです。だから、IT業界のことはわかりませんでしたが、売上を上げるために動いたんです。そしたら勝手なことするなって怒られて(笑)経営層は喜んでくれましたが、管理職の人からは疎まれましたね……」
この言葉を聴いて、「上司から言われたことだけをする仕事よりも、自分で仕事をつくる”ニューヨークスタイル”の方が、これからの時代にあっていると思いませんか?」と中馬さん。その呼びかけに賛同するように、多くの参加者が頷いた。
上村さんのお話を聴き終え、テーブルごとに「今日の感想」「気になったこと」をシェア。その後、質疑応答へと進んだ。
「PRって何ですか?」、「フリーランスでしんどかったことはありますか?」など、より突っ込んだ質問に、上村さんは時間の許す限り答えていった。
全てのはじまりは小さな一歩から
最後に、上村さんは参加者に向けてメッセージを送った。
「小学生の頃、仲の良かった17歳のお兄ちゃんが事故で亡くなりました。それから、若いから時間があるわけではない。人生は一回きり、いつ死ぬかわからないと思って生きてきました。私は何がやりたいのだろう、といつも考えてきたんです。学生の頃、やりたいことはやっていましたが、夢を描けなかった。ロールモデルに出会うにはどうしたらいい?と考えて動いたら、師匠に出会い、PRの道を教えてもらいました。
どんな時も、はじめの一歩を踏み出すところから、私の人生は変わってきました。みなさんも何かやりたいことがあるのなら、情報収集をするとか人に会うとかどんなことでも良い、小さな一歩を踏み出す勇気をもってほしいです」
「生き急いできたから、20代のうちに欲しいものはもう手に入りました。だから、これからは頑張っている人を応援したい」とも話した上村さん。その言葉からは、ニューヨークでお世話になった日本人から学んだ、恩送りの気持ちを感じ取れた。
時代が移り変わる中で、正社員、アルバイトといった雇用形態以外にも、複数の肩書きをもって働く人、本業以外の仕事をもつ人などさまざまな働き方が生まれている。しかし、どのような働き方を選んだとしても、共通して大切なことは、自分の仕事は自分でつくる姿勢、そして自分が得た知識や経験を後人に伝える”ニューヨークスタイル”の意識をもつことだと実感したイベントだった。