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縁の下の力持ちとしてゲーム業界を牽引する、株式会社トーセの経営【京都に選ばれ続ける企業経営】11/28開催イベントレポート

WRITER : 柴田 明
PHOTO : 柴田 明

トーセという会社をご存知だろうか。社名を聞いたことがなくても、彼らが手がけたゲームの名をいくつか挙げれば、誰もが首を縦にふるだろう。同社は1979年の設立以来、2,300タイトルを超えるゲームソフトやスマートフォン向けアプリの開発に携わってきた。業界を牽引する存在でありながら、表舞台には滅多に顔を出さないデジタルエンタテインメント業界の雄をお招きし、「京都に選ばれ続ける企業経営を学ぶ全4回」シリーズ第2回が開幕する。

こんな経営者は他にはいない。これぞ、京都の経営。

コーディネーターを務める株式会社ウエダ本社 代表取締役社長 岡村 充泰さんは、今回がこのシリーズの肝だと口にした。「これぞ京都の経営。こんな経営者は東京にはいないし、他の地域でもありえない」という言葉に、会場のボルテージがぐっと上昇する。

公開されているのはごく一部だというが、同社の開発事例には「ドラゴンクエストモンスターズ」(株式会社スクウェア・エニックス)などの大ヒット作が並んでおり、ただものではないことが伺える。参加者の視線を一身に浴びながら、株式会社トーセ 代表取締役会長兼CEO 齋藤 茂さんがやわらかな面持ちでマイクを手にした。

齋藤 「私がこの仕事を始めてからの40年間を、包み隠さずお話ししたいと思います。ちょっと生々しい話もあるかもしれませんけど。」

十数年の付き合いになるが、齋藤さんから仕事の裏側を詳しく聞いたことはないという岡村さん。始まる前に「楽しみです」と何度も口にしていた彼も、少年のような目で齋藤さんの横顔を見つめている。

齋藤 「40年ほど前、インベーダーゲームの大ブームが起こりました。百円玉が足りなくなって、造幣局が増産を決めた程の勢いでした。大量の百円玉を回収するのにライトバンでは間に合わず、4トントラックが売れたという、そんな話があったくらいです。

私も喫茶店でインベーダーゲームをやっていたんですけど、ある時、父親の会社がそのゲーム機を作っていることを知ったんです。『会社に行けばいくらでもゲームができる!』と思って、すぐにアルバイトをしたいと申し出ました。当時、父親の会社は大手電機メーカーの下請けをしながら、副業としてインベーダーゲームの生産をしていました。もともと私は、将来、父親の会社を継ぐつもりで理工学部に入学し、卒業と同時に入社しました。それが入社半年で父親の会社から分離独立し、トーセを設立することになるとはね。人生とはわからないものです。

なぜそんなことになったかといいますと、その当時、ゲームセンターには非行グループが集まると言われ社会問題になり、ゲームにはいいイメージがなかったんですよ。それで取引先の方が嫌がって、そのような仕事はやめろと言われたんです。それなら、別会社でやろうということで、隣のプレハブ小屋の2階で新しい会社を始めることに。人生の中でたいへんラッキーだったなぁと思うことが3つあるんですけど、これがその1つ目です。某有名企業のクレームのおかげで、トーセができたこと(笑)」

ファミコン業界にいち早く参入。震災後のボランティア活動から、株式上場へ。

この日、スライドの撮影はご遠慮くださいというアナウンスが冒頭にあったのだが、齋藤さんは「一応ダメということになっているんですかね。まぁ、撮ってもらってもいいですけど!」と開口一番、笑顔で宣言。参加者の緊張をあたたかく吹き飛ばしてくれた。

齋藤 「2つ目のラッキーは、80年代。その頃はもうインベーダーゲームが下火になって、ゲームセンター向けのアーケードゲームの企画開発から生産までを事業にしていました。ところがこれがまた、非常にお客さんのガラが悪くてね。一生は続けられないなぁと思い、東京に行って家庭用ゲーム業界への営業を始めました。そしたらその翌年にファミコンが発売されて、どかんと売れたんです!」

齋藤さんは、話しながらよく笑う。40年の間にはきっと、ここでは語られない苦労も多々あったと思うのだが、常に前を向いて突き進んでこられたことが伝わってきた。「おみくじは大吉が出るまで何回もひきます。今年は200円で出ました。こっちも気分よく帰れますし、神社も儲かりますからwin-winですよね!」というエピソードにも彼の生き方が表れている。

齋藤 「ファミコンブームの勢いに乗って、いち早く家庭用ゲームソフトの開発を始めていたトーセも急成長することができました。この頃はもう作れば売れる時代で、ほとんど寝る間もなく24時間体制で働いていましたね。すると父親の会社の社員から『あんな働き方をしていたら、いずれ会社がつぶれるぞ』と言われるようになって。このあたりから、しっかりした組織体制づくりを考え始めました。

90年代半ばに青年会議所の京都ブロック会長になりまして、その直後に阪神淡路大震災が起きました。その年は、会社の幹部に『業績は落とさんといてくれ』と一言だけ伝えて、私は1年間ずっとボランティア活動に尽力しました。その後に、せっかく会社に戻るのなら何かしたいなと考えて、思いついたのが株式上場でした。」

突然飛び込んできた上場の決意に、会場に大きな笑いが起きた。齋藤さんも「非常に不謹慎な思いつきなんですけど」と照れたような笑顔を見せる。ラッキーという言葉の裏では、齋藤さんの並外れた行動力が運を呼び込み、掴み取ってきたのだと誰もが痛感した。

齋藤 「幹部社員も上場に賛成してくれて、さっそく準備に取りかかったのですが、その中で証券会社の方から『上場するためには、もう1つ柱となる事業を作ってください』と言われました。これが3つ目のラッキーです。その一言でモバイルコンテンツへの参入を決めました。ちょうどNTTドコモのiモードが出た頃だったので、いち早くコンテンツ開発にも取り組むことができて、ドコモさんと一緒にiモードの普及に取り組んだり、機種の仕様を考えたりさせてもらいました。あそこで証券会社さんに言ってもらわなければ、新規事業の開発にはなかなか踏み切れなかったと思います。」

縁の下の力持ちを極めることで、100年、200年と続く会社を作る。

ここで、トーセの経営方針を紹介しよう。

戦略「永遠に続く会社づくり」
戦術「縁の下の力持ち」

2つの方針について、齋藤さんは次のように語った。

齋藤 「我々はとにかく会社をつぶさないでおこう、と思ってやってきました。この業界は皆、メーカーになって、ヒット作を出して大きくなることを目指すんです。うちみたいな会社は誰も目標にしません。時間がかかるから。お客さんからも『メーカーにならないのか』と何百回も言われてきました。でも100年、200年と続けていこうと思ったら、在庫リスク、仕入、広告宣伝費も必要ない縁の下の力持ちでNo.1になるのが一番いいなと、どこかのタイミングで考えました。だからライバルはいません。しかも、私たちはほぼ全てのゲームメーカーと仕事をしているので、お客さんから有益な情報をたくさんもらえます。どのハードが売れるのか、事前に判断ができる、これは非常に大きいです。」

本シリーズに登壇する4社の中で最も社歴が浅いトーセだが、その濃密な歴史は私たちにたくさんのことを教えてくれた。「世の中で、できないことはないんですよ。自分で全てやろうと思ったら無理ですよ、でも人の力を借りたらなんでもできます」という齋藤さんの言葉に、勇気付けられた人も多かっただろう。大きな拍手と共に、岡村さんとのトークセッションへと移る。

 


岡村 「トーセのすごいところは、受託開発専門企業でありながら任天堂やソニーの仕事もしていますし、さらにモバイルコンテンツの開発など、垣根を超えて縦横無尽に仕事をしていますよね。そのポジショニングって、どの業界でもなかなかできないことだと思うんです。」

齋藤 「縁の下の力持ちと言っても、我々は単なる下請け企業ではなく、企画提案型のビジネスをしています。これが大事です。例えば、うちが企画を考えて、ゲーム会社と他業種の数社に声をかけてコラボレーションを提案します。我々はあくまでも裏方に徹するので、コラボした中の1社として名を連ねることはありません。でもうちが作った企画ですから、開発費を値切られることもないですし、レベニューシェアで収益が入り続けます。

岡村 「こういうアイディアでビジネスを作っていけるから、趣味も全部仕事につながっていくんですよね。経営の話になりますが、自己資本比率を80%以上と高くされているのはなぜなんですか?」

齋藤 いつ何が起こっても動けるように、会社にお金を置いておくようにしています。今京都に4つ拠点があるんですけど、よい物件は見に行ったその場で購入を決めています。その方が得することも多いですしね。銀行に借りるとなると、即決できませんから。」


 

参加者からもさまざまな質問が寄せられ、あっという間に時計の針が進んでいく。齋藤さんのこんな言葉に、ビジネスの奥深さを垣間見た気がした。

齋藤 「これだけの本数を作っているゲームの会社は、世の中にないと思います。でも、実績の中でうちの名前が出ているものは1%もありません。新しいゲームがヒットして世間が騒いでいる時に、陰でひっそりと喜ぶのが楽しい。お客さんの中にはうちより小さい会社もたくさんあるのですが、うちをぬかしてどんどん大きくなってもらって、多くの仕事をいただけるようになったら嬉しいですね。」

終了後も齋藤さんを囲む人の輪が途絶えず、会場のあちこちからも明るい会話が聞こえてくる。中には「こういう話ができる人と出会えて嬉しい」と、次の約束を交わす声も。帰路につく参加者たちの満たされたような表情に、改めて本シリーズ、そしてKOINという場の意義を感じた。

次回12月17日(火)は、洋菓子ブランド・マールブランシュを立ち上げた株式会社ロマンライフ 河内社長が登壇する。岡村さん曰く、「河内さんに仕事のことを聞いても、いつもはぐらかされるんですけど、今のマールブランシュができるまでには壮絶な挑戦があったはず。そこを聞きたいんです」。楽しみにお待ちいただきたい。

オープンイノベーションカフェとして作られた「KOIN(Kyoto Open Innovation Network)」は、事業を始めたい、広げたい、応援したいなど、さまざまな人の新しい一歩を後押しするための場所。毎日7:30から21:00まで誰でも利用できる場所なので、ぜひ足を運んでみてください。

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