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KOIN塾 自分を成長させるコーチングパートナーの作り方 開催レポート(第3回)

WRITER : 井上 良⼦

3KOIN塾は、一般社団法人my turn(以下my turn)の杉原惠さん(代表理事/コミュニティデザイナー)をゲストにお迎えしてmy turnのこれまでの活動やこれからどのように進んでいくのかお話しいただきました。法人として設立する3年前から地域で活動していた惠さんがトミーさんと出会い、my turnとともにどのようなプロセスで広がりが生まれてきたのでしょうか?

今回も講師を務めるmy turn理事で杉原さんのコーチングパートナーでもある福冨さん(以下トミーさん)との対話形式でトークが進められました。

 

トミーさん
2020年コロナ禍の4月にmy turnは設立されました。そもそもコミュニティデザイナーとはどういうものでしょうか?

 

惠さん
コミュニティと聞くと地域のことやまちづくりのイメージが強いと思いますが、人と人がコミュニティをつくるだけでなく、自然や文化も含めた資源をつないでいく役割です。   
これからの社会に必要とされている「心の豊かさ」といった目に見えないものも循環していくような流れをつくっていくのがコミュニティデザイナーだと思っています。

 

トミーさん
いま示しているのは、my turnがこれまでどのようにして進んできたのか、またこれからも含めたプロセスを表したマーケティング・デザイン・マップです。私と惠さんが京都市ソーシャルイノベーション研究所(SILK)で出会った頃、疑問に思っていたのが、SILKではまちづくりの中で単発のイベントが多く、人やコトもつながっていない=グラデーションになっていないことでした。そこを大事につなげてこそ、まちづくりも広がっていく。人や関係性がつながっていないのがもったいないと感じていました。

しかも京都全体となると見えにくくなるため、京都市を一気に変えようとするのではなく、11区ごとに「見える化」していくことから始めました。たとえば、フェアトレードを行うシサム工房さんとエシカルメンズのイベントを企画・開催した時も、イベントで終わらせず集まった人たちの生き方や思いをどのようにまちに根付かせていくかを考えました。エシカルという考え方は、ファッションに限らない衣食住の共通項である「ライフスタイル」に関するものなので、そういう仕立てで対話の場をつくり、イベント後もFacebook上で関心のあるメンバー同士のコミュニティをつくりました。そのような一つ一つの活動が向かう先に考えていた「エシカルタウン」について、次は恵さんからお話ししていただきます。

惠さん
my turnを立ち上げて最初に思ったのが、「社会を変えよう」と漠然と言っていても目標が大きすぎて自分たちだけでは実現できないということでした。そこで、区ごとの単位で既に面白い活動をしている人たちをイメージしながら、彼らとともに各地域から変えていく「エシカルタウン」ということを2025年という少し近い未来の目標として掲げたのです。その手段としてイベントや学びの場をつくってきました。普段の活動はあくまでその目標の手段であって目標から逆算して動いています。2025年万博の年に、関西の注目度が高くなるときまでにエシカルなまちを実現したいというイメージです。

 

トミーさん
ちょうどいま万博の話がありましたが、そのテーマに「いのち輝く未来社会のデザイン」が掲げられ、ウェルビーイングもコンセプトに入っています。私たちmy turn2019年にはビジョンにしていたウェルビーイングがようやく日本でも浸透し、政府の骨太方針にも導入され、2021年をウェルビーイング元年としています。

このようにマーケティングマップの中で自分たちのビジョンを立てることで、今の活動がどこに向かって何につながっているのかを常に意識して、仮説を検証するように行動しているということです。目の前のことだけやってしまうと手段が目的化してしまいます。

では次に、北区を拠点に立ち上がったKita Living Labの話を惠さんからお願いします。

 

惠さん
my turnメンバー12名のうちの半数以上が北区に住んでいるため、その中の一人が自然をベースにしたイベントなどを行うKita Living Labを立ち上げました。リーダーは私ではなく、組織としても新しい形でシェアドリーダーシップという、常にリーダーが指示を出すのではなく、フラットな関係性の中メンバーそれぞれがリーダーシップをとっていくスタイルで運営しています。

たとえば大宮交通公園という京都市のサステナブルパークを管理したり、さらさ西陣など地域で使われていない場所を活用したり、自分たちだけが楽しむのではなく、地域の人たちと混ざり合いながらまちづくりというよりもコミュニティデザインを実践しています。

トミーさん
そのようにSILKのコンシェルジュの仕事と並行して2017年から始めた活動が広がっていく中で惠さんが迎えた転換点について、仲間やパートナーとどのように出会っていったのか2019年までの2年間のわだかまりなどをシェアいただけますか。

 

惠さん
活動を始めて2年間は、自分と身近な子育て仲間が楽しく活動していることで十分だと感じていたのです。子育てと両立しながら楽しく活動して結果も出てきていたので。ただ、ある時からふと、自分たちが楽しいだけで社会にとって何の意味があるのかを、考え始めました。楽しいはずなのに、この先の何につながっていくのか一人で考えてもわからない状態でした。メンバーの中では私がリーダーになっていたのですが、自分だけがリーダーを担うことにも違和感を感じ始め、相談する相手もおらず答えが出なかったときにSILKでご一緒していた福冨(トミーさん)に思い切って相談しました。

 

トミーさん
惠さんから初めて話を聞いたときに、いい意味で自己否定をしていたんですね。自分たちが始めた活動や自分の状況に対して、客観視できていたのが印象的でした。活動の先を考えたとき、今の社会がどんな流れで、暮らしやライフスタイルと自分たちの活動がどうつながっているのか、そしてこれからの社会はどこに向かうのかが整理できていないもやもや感が伝わってきました。

惠さんにどうしていきたいかを聞いたとき、彼女は「私自身が変わっていきたい」と言ったんです。「本気か」と聞き返しました。なぜかというと私はコーチングもやっていたので、人の気持ちを大事にしていたのですが、さらに大事なのは姿勢だからです。今どんな思いでいるのかという思いの種、どこに心が向いているか、どこまで本気で思っているのか。惠さんからその気持ちの本気さが伝わってきて、定期的に会って(2週間に1回)相談を受けることにしました。

 

惠さん
その頃の私は自分自身をプロデューサーだと捉えていました。誰かに頼られて何かを決定するリーダーというのがしんどくて、そこから変えたかったのです。

トミーさんに相談したのは社会のことをよく知っていると思ったからです。自分が知らない視点をもっているトミーさんに相談することで、新しい考え方が生まれたり悩みが解決したりするかなと思ったんですね。

 

トミーさん
惠さんから新しい自分になりたいと聞いたときに、コミュニティデザイナーが向いていると思いました。その頃はまだ知られていない役割でしたが、彼女と対話をする中で、人との関係性を構築する特性を見出していましたし、持ち味を存分に発揮できるのではないかと思ったんです。さらに先を考えたときにこれからのまちに必要になってくる役割でもありました。(人を促したりつないだり、いきいきさせる)

(マーケティング・デザイン・マップの)ビジョンの下のところに書いているように家族/地域/企業がウェルビーイングになることを見据えていたので、将来的には企業の中にもコミュニティデザイナーが必要だと考えていました。縦割りでトップダウンの構造をもつ企業の組織形態も時代に合わなくなってきていることも前から違和感を感じていたので、組織の中のマネージャーのあり方も変わっていく必要があります。人を活かすスタイルのリーダーシップは、そのヒントにもなりますし、惠さん自身も活き生きできるのではないかと感じたんです。

その後およそ5ヶ月間相談に乗って対話している中で、惠さんは自分から「法人化したい」と決意しました。安定した勤務先のSILKをやめることにもなりますし、独立する上で葛藤はあったと思います。その辺りの思いやプロセスについても話してもらえますか。

 

惠さん
あらためて振り返って思い出してみると、トミーさんに相談する中で、社会の流れや今後どういうものが求められるのかが少しずつわかってきたんですね。京都を見渡したときに、その当時お母さんたちの団体は他にもたくさんあってマルシェなども開催していたので、 同じことを後出しでやらなくてもいいかなと思いました。それよりも課題だと思った社会とのつながりをもって自分を生かしてライフワークにしていくアプローチができたら、これまでにないチームで今からの時代に求められるビジネスになるのではと考えたのです。

もちろん不安も多少ありましたが、試してみたい、どんな結果が待っているのかワクワクするような好奇心の方が優ったというのがその時の状態でした。

 

トミーさん
今の話で一つ大きなポイントになってくるのが、自分から動き出しているという点です。モチベーションとドライブの違いでもありますが、モチベーションは本来いい言葉なのに、新型コロナウィルスや上司など外的要因で気持ちが上がったり下がったりすることが普段多いと思います。そうではなく、自らの動機で動きたいという思い(ドライブ)と行動がとても大事なポイントです。

その後、実際に惠さんは法人設立の準備を進め会社も辞めることにした矢先、コロナ禍が始まりましたよね。まさかそういう社会になるとは思ってもなかったわけですが、その時の状況はどうだったんですか?

 

惠さん
周りが心配していましたね。そもそも起業は簡単ではないという声もあり、ましてやコロナ禍で難しいのではないかと。むしろ自分としては、コロナ禍でもますます求められるようなやり方を考えたいと思っていました。もちろん描いていた通りにいかないこともあると思いますが、どのようなやり方にしていくかなど仲間ともコミュニケーションが取れていたので不安はほとんどなかったです。

その当時2030人いたメンバーには、今までやってきた楽しいイベントを続けるだけでなく、個人個人が依存し合わず自立していって生かし合いながら、仲間がいるから大丈夫と思えるチームづくりをしたいと伝えました。そのためには社会を知ることが大事で社会を知ったときに、自分の活かし方がわかるということも話しました。

 

トミーさん
そのような経緯で法人設立後に始めた事業がmy turn塾でしたね。惠さんが自分との対話の5ヶ月間で一番変わったのは意識・マインドセットで、それを仲間にも共有していく場をつくりました。他には法人を立ち上げる前に、みらまち結びプロジェクトという西京区の住民向けのプログラムを実施しました。コロナ禍ですべての回がオンライン開催になったのですが、住民の皆さんが思い描くまちのためのアイデアを共有し合い、やったことのないことでも常に臨機応変に対応する形で実現に向けて伴走しました。

 

惠さん
今年の4月で設立から3年経ち今に至るまで、自分たちのチーム内に提供していた塾などがまちに広がった実感があります。実際にプログラム後も地域の人たちがそれぞれの活動をステップアップしていく姿も見ることができました。

私たちがやる意義を早めに感じることができたのは大きかったです。地域の中でつながりが生まれた安心感をベースに、相談し合える関係と実際の活動が継続的に続いていくまで を実感できたことで、社会にも求められているコミュニティだと感じることができました。単発のイベントやプログラムではなく、また、ずっとmy turnが開催していくのではなく、私たちの土台をもとに出会った人たちが次につないで新しい価値が生まれ続けるあり方が とても大事だということです。

 

トミーさん
3年経って去年の年末に企業から新しいリクエストを受けましたよね。最近では、「健康経営」や「ウェルビーング経営」に取り組む企業も増えてきましたが、具体的にどんな企業からどのような話がきたのか、惠さんからご紹介いただけますか?

 

惠さん
都市デザインや建設設計を行う東京の企業さんから、大阪オフィスの社内にコミュニティデザイナーを常駐させたいという話が昨年末にきました。社内の人ではなく外からの第三者に入ってもらいたいというリクエストです。オフィスの環境も一新されたのですが、ハード面を変えるだけでいいのかというとそうではなく、社員のマインド変容も実現していき、先駆的な事例として広げていきたいとのことでした。

 

トミーさん
my turnや惠さんにとって新しいチャレンジになりますが、私たちがウェルビーイングの取り組みを地域だけではなく企業にも広げていくことが必要だと考え、4年前にアンテナを立てていたからこそ実現したという点がポイントです。ここまでのプロセスを共有させていただいたことで、ウェルビーイングな社会の実現に向けて手段としてのmy turnの活動やその広がりを理解いただけたと思います。

 

後半は、my turnのプロセスシェアを受けて参加者が感じたことや質問を交えて惠さん・トミーさんとの対話の時間でした。

 

 

Aさん
ウェルビーイングという言葉を最近は聞かない日はないと思います。ただ、企業側の評価軸が変わらないまま新しいトピックとして追加されても、企業に根付いていかないと感じています。従業員のマインドだけでなく、仕事全体の中で仕事の仕方など何を変えて何を目指していくイメージでしょうか?

 

惠さん
私が関わらせていただいている企業さんの中でも、正直今のところ異物にしかなっていないと思います。実際の現場ではあまり困っていない生態系の中に、“流行り言葉”として東京本社の経営者が導入しようとしてもうまくいきません。
半年経っても他人事のままで、まず社員のマインドを変えてから始めればまだよかったのですが、経営層の人たちと現場の人たちとのギャップを一つ一つ咀嚼して、変換しながら伝えていくことが役割だと思っています。コミュニティデザイナーとして、三者間(東京本社・大阪支社・現場)で一緒に物語・共通言語をつくっていくこと。そしてその可能性を示していきたいです。

Bさん
今のお話を受けて共通の言語をつくるというのは家族においても地域でも大事だという気づきがありました。ただ、家族と地域では同じ部分と違う部分がある気がしていて、どのようにしてそれぞれにおいて共通言語をつくっていけばよいのでしょうか?

 

惠さん
私の場合手法は全部一緒かなと思います。アプローチを家族と地域で分けていたらしんどくなってしまうので。

 

トミーさん
そうだとしても、惠さんのコミュニケーションを見ていると、たしかに手法は一緒ですが相手にあわせて伝えていると思います。内容は一緒でも、相手によって伝え方を変えているのでは。表面上の現象にとらわれず、本質を見抜いて誰もがもっている可能性の種を引き出すため、答えよりも問いの立て方が大事だと思います。
最後に、これからのmy turnのことをお伝えして締め括っていきましょう。

 

惠さん
目指していることは変わらず、これからも変化し続けていくと思います。歩み方が変わるイメージです。とくにライフ=「生きる」とワーク「働く」を分けるのがしんどいと感じている人たちが融合させて生きていくのをサポートできたらと思っています。
また、北区につづいて南区のLiving Labが今年10月に立ち上がったり、名古屋の安城市に移ったメンバーが新しい地域でも活動し始めたり、場所がどこであっても周りと対話しながら自分を生かしていくコミュニティデザインを続けていきたいです。

my turnのこれまでとこれからを共有する中で、参加者の皆さんの気づきや思いが重なっていった今回のKOIN塾。終了後はいつもながら対話の続きや交流で盛り上がり、次回以降のKOIN塾もますます楽しみです!

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